11/12/2018

マダムにもお不動さん

最近、私が帰国すると、後半になってマダムも日本を訪れて最終的には二人でシアトルに戻ります。今回の滞在でも後半になってマダムが日本にやってきました。アメリカへの帰国日は護摩法要の翌日に決めていました。

もちろん、鎌倉の護摩法要に行けるように!!(笑)

しかし、マダムが本当に行きたいのかわからないので予定はきっちり決めずにいました。一緒に読経しないとならないし、経本はふりがなが振ってあるけど読めないだろうなぁとも思ったし、もしつまらない思いをさせたら可哀想だなぁと。再確認すると、行ってみたいというので鎌倉まで一緒に出かける事にしました。

途中の乗り換え駅では、ホームに出るのにエスカレーターに乗らなければなりません。私が先にエスカレーターに乗り、マダムは私の後ろに立っていました。なんとなく対抗のエスカレーターを見ると上の方から降りてくる人の一人が明らかに私をジーッと見てるんです。(私の前後に人がいるのに…)

ちょっと普通じゃない感じでガン見して降りてくるんです。なんだろう?と思いつつ、私も思わずその男性を眺めていたのですが、その男性は顔に特徴があって、左目がしっかり開かない感じです。続けてジーッとわき目も振らずに私をジーッと見続けているのですが、それが嫌な見られ方では全然なくて興味津々で見ているという感じだったんです。

そして、すれ違いざま…

めちゃくちゃいい笑顔で微笑みかけてきた!!(笑)まさに破顔一笑って顔で笑ってきた!(笑)え?なになに?って釣られて私も思いっきり笑顔で返しちゃった(笑)

ちょっと面白かったので後ろに立っているマダムに振り返って「ねぇ、今の人見た!?」と聞くと、カバンをゴソゴソしながら「え?なに?見てない」見逃していました…

今思うと、おかしな話かもしれないけど、あの男の人ってもしかしてお不動さまじゃ…あはは? 

そして、マダムを連れての護摩法要は特にマダムを心配することもなくマダムも初めての日本での護摩法要の雰囲気を楽しんでいるようでした。そして、再び副住職さんに「お守り…」と声をかけて(絶対こいつまたか!って思われたはず。笑)マダムに腕輪守りを引いてもらいました。

マダムはここ数年ほど会社のディレクターに悩まされています。ディレクターは分野の違う所から来た人で仕事の内容が完全に分かっていないので、言うことが結構無茶苦茶で社員の足を引っ張っています。また、人間的にも「(会社の創業者)はもうすぐ死ぬから」など、平気で酷いことを言う、言える人です。社内全員から嫌われています。人事部にも何度もディレクターに関するクレームが方々から提出されています。人事もディレクターと何度もその件ではミーティングや注意を出しているけど全く改善はされません。ディレクターは今も普通に会社に来ています。そして、会社の創業者は実際に私たちがロンドン滞在中に入院してかなり呆気なく息を引き取ってしまいました。話を聞いていた私もディレクターの言葉が悪い意味で本当になってしまった事で気分が悪くなりました。

そう言う状態で引いたマダムの腕輪守りのメッセージは「敢」

あえて〇〇する、勇気を出して〇〇する、思い切って〇〇する…

つまり、お不動さまにハッパかけられたマダムであった(笑)多分、ディレクターの思惑に負けず、思い切って自分の信じるとおり仕事をせよって意味なのではないかな?と私は解釈しました。

秋の帰国

さて、そんなこんなでロンドンから戻って慌ただしく準備して日本へ再び帰国しました。その日程は、なんと鎌倉の護摩法要に合うように(笑)母からは「え〜?」と結構呆れられました(笑)

28日に鎌倉の護摩法要に行って、そしてこの時にやっと腕輪守りを頂くことができました。この腕輪守りは一つ一つ違う顔と言葉がついているそうです。その言葉はお不動さまからのメッセージという事で、ずっと興味津々だったのです。もちろん、イケメンお不動さまにもまた直接眼前で眺めることができる事にもワクワクしていました。

イケメンお不動さま、私には一体どんなメッセージをくださるのであろう?副住職さんの読経の後、三宝に乗せられた数々の封筒から一つ好きなものを引きます。おみくじ的な感覚です。明王院を後にして路上で早速中身を確認する私(笑)待てができないやつ(笑)

出てきた文字は「歓」

よろこぶ、たのしむ、めでる、歓迎の歓…素敵なメッセージきたー!メッセージの一文字は受け取り方が様々で、後から意味がわかるなどもあるそうだけど、お不動さまからの歓迎の意味かもしれないし、私が生まれた時に世界が歓迎してくれたのかもしれないしそれだけにクサクサせず自分を大切にしなさいよって事かもしれないし(壮大だな!!笑)受け取り方はいかようにもなります(爆)

とにかく素敵なメッセージを頂きました。それから以降、私はこの腕輪守りをとても大切にしています。これはマダムにも引かせたい、そう思いました。

お不動さま

謎のお坊さん(笑)から、鎌倉の明王院をオススメされて興味が湧いた私は、帰宅後に早速調べてみました。鎌倉時代に建てられたお寺で、ご本尊様は不動明王、お守りのページを見ると赤と金色のブレスレット型のお守りが!

赤と金…!(笑)え〜これはお坊さんオススメのアイテムまんまじゃない?

この時からもう明王院には行く気満々。早速、護摩法要だという28日に行くことにしました。護摩法要も一体どういう事を行うのかわからないし一人で行くので本当にドキドキしました。

護摩法要では経本を貸してもらってお堂内にいる全員で般若心経などを一緒に唱え、最後に棒を渡されて、その棒が何かわからず謎だったので単に願い事を心で唱えながら護摩壇の火にくべました、他の方がやっているように。そして最後、正面のお不動様の目の前に行かせていただいてご対面。ここのお不動様が…ほぅ…かっこいい!

もぅ、びっくりした。かっこいい、本当に。細身のスタイルで若々しくてお不動様って怒り顔と言われるけど、なんかイケメン…ちょっと不謹慎な言い草?ごめんなさい!ε-(´∀`; )

そして、副住職さんに「腕輪お守りありますか?」と訊ねると、「現在在庫がなくて来月の護摩法要までには用意ができる」とのこと。ガーン( ̄◇ ̄;) 予定ではその前日にシアトルに戻ってしまう(泣)

後日、やっぱり気になって同じく金と赤のコンビネーションの倶利伽羅守りというものを頂きに再び明王院を訪れました。この倶利伽羅守りもかっこいいので今ではお気に入りのお守りの一つです(結局、この後私はマダムや母の為へとこの倶利伽羅守りを合計3個入手しました。笑)

そして、その時はシアトルに戻ってきました。これが今年の5月のことでした。


お坊さん?

随分久しぶりのブログ記事になってしまいました。ワードプレスをアップデートしたら文章入力方法が変わっていて使い方がわからなくなっています。

最近、日本には年に2度の頻度で戻っています。そして、帰国する度に神社に通っては御朱印をいただいています。ずっと御朱印集めをしたかったけど、帰国できずにいた間に何やら大ブームになってて、人気だから始めたみたいになっちゃった?

しかし、最近は行く神社が決まってて御朱印を集めるというよりただ単に神社に通うために帰国している、みたいになっています。私が必ず訪れる神社は明治神宮、乃木神社、神田明神、日枝神社、根津神社、鶴岡八幡宮…ここら辺は必ず行くと決めている神社です。あと、実家近所の氏神様?にも滞在中は出来るだけ行くようにしています。

その実家近所の氏神様へ、朝、散歩がてら母と行った時のことです。去年だったっけかな…?丁度参拝する時、一人の男性が我々よりも先に参拝していました。こちらが参拝を終えて神社の階段を降りていると、その男性がこちらを階段の下からチラチラ見ているんです。なんだろう?と思っていたら話しかけられました。

参拝中、神職さん達が本殿の中つまり神様の真ん前で私がいるにも関わらず雑談して立っていた、とても失礼な神社ですね、と憤りが収まらない様子。母と二人でそうですねと話を聞いていたのですが、その眼光の鋭さや佇まいから普通の人ではなさそう…と心の中で思っていると、母も同じことを思ったようです。氏神様の話の後、しばし雑談を進めている時に母が「お仕事は何をされていらっしゃるんですか?」

「もう定年しまして、定年後は比叡山の方で修行して得度しました」…なんと、お坊さんでした。?どこかのお寺に属しているわけではないそうなので、お坊さんという呼称はおかしいのかな?

さらに雑談をしていると、母が「この子も最近御朱印集めをしていてよく神社仏閣に行くんです」すると、お坊さんが「御朱印集めはいいと思うんだけど、あんまり滅多やたらに色んな所に行かない方がいいんじゃないかな〜?やっぱり場所によっては不浄霊がいたりするからね〜」そして続けて「何か一つお気に入りの仏様を見つけてそれ目当てにお参りするのも楽しいよ。私は大黒様のいるお寺めぐりしてるの。それから、赤いものか金色のものを身につけてるといいよ」

赤いものか金色のものは悪いものから身を守るまではいかないけど寄せ付けないだか何かそういう作用があるそうで、ハンカチでもなんでもいいそうです。

話は鎌倉のお寺の話になり、お坊さんからは「明王院と杉本寺はオススメですよ」と教えていただきました。御朱印集めとはいえ、お寺はあんまり興味がなく、ほぼ神社にしか行ったことがなかったので鎌倉のオススメのお寺にはどちらも訪れたことがありませんでした。そこでお坊さんとはお別れして母と帰宅しました。

ちょっと不思議なことは、そのお坊さんは毎朝この氏神様か、もう一つ近くにある神社を参拝しているとのことでしたが、それ以前にもそれ以降も結局全くお会いすることがなかったことです。続く